照葉樹林
「照葉樹林」というカクテルを飲みました。抹茶リキュールの烏龍茶割りです。
お茶のリキュールをお茶で割っているだけあって標準的な甘さを感じました。味はかなり違いますが、午後の紅茶のストレートティーをもう少し甘くしたような甘さです。
抹茶の味はわかるのですが烏龍茶はわかりませんでした。さっぱりとしたあたりが烏龍茶の力でしょうか。
少量だったら美味しいで終わるのですが、今回はグラス1杯分です。量が多く甘かったのでしんどかったです。お店の人、ごめんなさい。シングルかダブルくらいでしたら美味しくいただけたと思います。
振り返ると、ロングカクテルは考え物です……。こうして書き留めていけば、好みの傾向がわかると信じています。
これも「マッカラン12年」と同じ、10月26日に飲みました。
ティオペペ
「ティオペペ」というシェリーを飲みました。
……すみません、前回の山崎12年の山崎ソーダ割りと同じ日に飲んでいます。そして飲んだ日が10月20日、先週の土曜日です。1週間近く前に飲んだお酒の感想を今書いております。
酸味のある香りがしました。酢、でしょうか。りんご酢……しかし刺激が弱いような。「なんだかこの香、どこかで知っているような」と。本を読んだら「紹興酒」と書いてあって納得しました。おそらく紹興酒です。
甘いですが、「チンザノ エクストラドライ」よりかは甘くないかなと思いました。「ティオペペ」は後味が苦いというのでしょうか、少し苦くもありました。
ぶどうやりんごのような舌の上に残るような甘さではありません。これがアルコールがなせる技でしょうか。
いつかは「チンザノ エクストラドライ」と「シェリー」を合わせたカクテルを飲んでみたいです。「バンブー」なのか「アドニス」なのかわかりません。
山崎12年の山崎ソーダ割り
少し遠いスーパーで「ザ・プレミアムソーダ 山崎の天然水でつくったソーダ」を買いました。
バーのマスターに無茶言って(持ち込みNGなんです)「山崎12年」と割ってもらいました。
口の中に素朴ではない甘さが広がりました。
食後にちょっと甘いのが欲しいな、という時にいい甘さでしょうか?
もしかしてウイスキーというのは割ったら皆こういう味で、素人にはわからない微妙な味の違いがあるのかな、と思いました。
以前いただいたデュワーズのハイボールよりこちらの方が好みです。ただ、以前のデュワーズハイボールは、薄めに作ってもらったので、きちんと比べてはいませんが……。
山崎12年の山崎ソーダ割り、機会があればまた飲みたいです。
陛下、お味はいかがでしょう。「天皇の料理番」の絵日記
『陛下、お味はいかがでしょう。「天皇の料理番」の絵日記』を読みました。おそらく先週ですが。
『精鋭』に続き、公務員モノ……とくくってもいいのでしょうか。ジャンルが離れているので同じ公務員という気がしませんが。
国を守る公務員もいれば、宮中晩餐会だけではなく天皇家のお食事を担当される公務員もいるということですね。そうそう、召し上がるものを育てる公務員もいるようです。
ひとくちに公務員といってもたくさんの種類がありますね。
宮内庁で働くというのもあって、採用にあたっては身辺調査もあるような印象です。自分だけではなく、家や親も見られている印象です。
さて内容なんですが、ほのぼのな感じがしました。真面目なだけではありません。いたずらもするし失敗もする。女官? 達に差し入れと偽って食品サンプルを渡すとか、溺れて陛下(確か昭和天皇)にしがみつくとか(著者ではありません)。
同じ人間として、読んでいてほっとしました。
他の人……知らない人が失敗するイメージなんて、てんで湧かないのです。ましてや省庁勤務の人々なので。
そして、人が職場を離れる理由もたくさんあるんだな、と。
一般的に、年齢や結婚や介護、色々あるはずです。著者が宮内庁を離れた理由が印象的でした。こういう理由もありなんだな、と。
ところで、昭和の陛下の献立ですが、シンプルでした。侍医の助言や陛下が心がける「腹八分目」もあるのでしょうか。しかし「カルグルト」が「ヨーグルト」だとは……。初見でわかりません。
陛下も人間ですから召し上がるのでしょうが、多くのご公務で食事を摂られる暇はあるの? と思っていました。宮中晩餐会は食事というよりご公務でしょうし。
精鋭
以前親が購読していた新聞の連載小説を少し読んで、漠然と気になっていた小説です。あれから何年経ってこの文庫本を手にしたのでしょうか。
あらすじでは、「若い警察官の成長を書く」とありました。主人公である柿田は成長したのでしょうか。私にはわかりませんでした。
最初は「自分は警察官に向いているのだろうか」と迷っていたのが、機動隊やSATの訓練を通して、もやが晴れていくのは感じましたが……。
個人的に印象に残ったのは陸士長の市ノ瀬が柿田に引用した、沖縄の偉い先生の言葉です。
「長年修行して体得した空手の技が、生涯を通して無駄になれば、空手道修行の目的が達せられたと心得よ」(309頁)
あってはならないことや、めったにないことに備えることは、とても辛いと思います。モトを取りたいと思う気持ちが働くと思います。
心の底から「達せられた」と思えるのは、色々と捨てる覚悟のある、別次元の人間なんでしょうね。